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仏陀の基本課題は、人生の一切の苦悩をいかに超脱
すべきかであった。人生の真相を如実にながめた仏陀は
次のように「四法印」を説かれました。諸行無常
一切の現象は、刹那ごとに生滅し変化する。すなわち、
一切のものは、単なる時間的存在として存するにすぎない。諸法無我
諸法とは、一切の存在であり、無我とは、それらに固定不変
の実体のないこと。すべてのものは、ただ因縁によって
仮に和合しているにすぎない。一切皆苦
凡夫は、無常に常を求め、無我に我を捉えようとする欲望が
満たされないことが苦しみとなり、ゆえに一切の現象は、
苦の存在として現れてくるのである。涅槃寂静
無常・無我・苦なる一切を如実に知見して、それらに対する
執着を離れ、欲望が滅せられた境地。
これが、仏教の究極の境地である不立文字
釈尊の悟りの内容をすべて文字で表現し尽くすことは不可能です。
実際に体験してみることが、どんな言葉や文字にまさるのです。
「あらゆるものに仏性がある。」と言うことを説き明かしたものが教典です。
しかし、この真理を単に知識として知っているだけでは、本当にわかっているとはいえません。自分自身が仏であるという自覚と働きがなければ知っていることにはならないからです。
その自覚のためにも、一日わずかな時間でもいいですから坐禅をすべきなのです。
ただし、文字や言葉に限界があるからといって、まったく否定するのではありません。限界があるからこそ、文字や言葉を大事に有効に用いなければならないというのが不立文字の意味でもあります。教外別伝
釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができません。
心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところです。
したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることである。
また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいでしょう。
弟子は、師匠の日常の立ち居振る舞いを見ながら、自己を磨いていくのです。何事も自分の努力で体得して、初めて自分のものとすることができます。また、目に見えないものを見抜いて、初めて心から納得することができるのです。言葉や文字では、究極のところは伝わりません。直指人
直指人心とは、「直ちに人の心を指す」ということですが、人の心つまり人心と仏心とは、本来別の心ではありません。私たちの心の中には、もともと仏心が具わっているのです。
この事実を忘れているために、私たちはあれこれと迷ってしまうのです。そこで、直指になるわけです。教育・思索とかいった、もってまわった方法を取らずに、一直線に「自分の心が仏心にほかならない」と指し示すのが直指なのです。無性である真実の自己、自分の心の中にある仏性を直ちに観てとれといわれるのです。文字や頭で理解するのではなく、弟子を殴りつけるような直截的かつ独自の方法で導くのです。このように、人間の本性つまり仏性を直指させる、直接体験させる方法を禅宗ではとりますが、これを直指人心といいます。見性成仏
直ちに指し示される人心とは、私たちの心の奥にある仏心にほかなりません。この仏心、つまり真の人間性に出会い、まみえて、自分が、ほんとうの自分になることを「見性成仏」といいます。
仏というのは真実の人間のことですから、成仏とは人間完成であり、人間成就のことなのです。見性の「性」とは「心」と同じ意味で、人間の本性のなかに、仏となるべき仏性がひそんでいるということです。借りに、迷いに満ちている醜い心であっても、その心に成仏の因である仏性があり、煩悩(一切の妄念)の心に仏となる功徳が宿っているとみすえるのが見性成仏ということになります。
心というのは、求めても求めてもつかめるものではないし、決まった形がないという事実を、みずから観念ではなく体験として知ることが「安心」を得ることであり、成仏することなのです。白林寺について
名古屋市の中心・栄に位置し、ナディアパークの南、パルコ西のオフィス街の中に、
かなりの樹齢のクスノキ・みどりの木々に囲まれた静寂な禅寺です。
寺名の由来
先代よりの口伝
尾張藩祖徳川義直公が名古屋城天守閣より南方を見渡すと真っ白に覆われた林があったという。
よくよく見るとそれはシラサギが群れをなして休んでいる美しい光景であったと。
そこが成瀬正成の菩提を弔う所・白林寺となったそうである。
本尊: 釈迦如来座像
正成の嗣子正虎が再建
明暦三年(1657年)火災にて消失し、その後,正成の嗣子正虎が再建して、以来成瀬家代々の菩提所として現在に至るまで護持されてきました。
昭和二十年三月十二日の戦災により、寺は山門と御霊屋を残して焼失したが、再び現在の処に建てられました。
法名 白林院殿前布護直指宗心大居士
正成は、永禄十年(1567)正一の嫡子として三河足助郷で生まれ、幼名を小吉といった。幼少にして父と共に徳川家康に仕え寵遇をうけたという。
天正十二年(1584)の小牧・長久手の役に出陣して首級を挙げ、家康から備前兼光の一刀を拝領した。時に十七才であった。
元和二年(1616)七月義直が駿府より名古屋へ移るのに従って尾張へ入り、翌三年犬山城主となった。
正成は、大名になるのが当然視されていたものの、家康に「愛子義直のために」と懇望されて尾張へ赴いたいきさつがある。そのかわり、家老の身でありながら一城を拝領し、一藩に準ずる別格の扱いをうけることとなった。
寛永二年正月十七日に江戸で歿した。その遺骨は、日光東照宮の家康公の近くに埋葬されている。
檀溪(だんけい)勝蹟碑
第五世檀溪徹和尚が隠棲した地
名古屋市昭和区に檀溪橋・檀溪通という所があります。ここは、いまから二百五拾餘年前寛文年間に当寺の第五世檀溪徹和尚が隠棲した地と言われています。
北方から流れる山崎川が檀溪橋あたりから湾曲して、丘陵の山裾に沿って南流するところがある。昔、東郊第一の勝地として、文人墨客が足を運んだ幽邃の仙境であったところです。
「尾張名所図絵」に、「深淵なり・・・・土橋を架し、樋を伏せて幽すい・・・・・小仙境といふべし」とたたえられています。故に、世人は和尚の名をとって「檀溪」と地名したようである。檀溪橋の欄干に由来が、そのたもとに檀溪勝蹟碑が立っています。
又近くには藤成通り、杁中の隼人池の地名が残っています。
藤原朝臣成瀬隼人正正成)
座禅会
毎月第2木曜日 午後6:30~8:00
初心の方でも冷やかしでも結構です。今の自分を変えたい方など どうぞお誘いあってお出で下さい。
尚、名古屋禅センターでは、坐禅・法話・写経など出張指導・講師派遣なども行っておりますのでお気軽にご相談ください。
著作本の紹介
くり返し読みたい禅語 単行本(ソフトカバー) – 2015/8/28
禅語は「よりよく生きる」ための知恵の宝庫。日常で役立つ70の言葉をわかりやすく解説します。
禅の思想でやわらかに生きる
「一期一会」、「挨拶」など、身近でよく使われる禅語を
日常のエピソードにたとえなから、わかりやすく解説。
言葉に合わせて描きおろした禅画がイメージをふくらませ、
禅の教えを今の暮らしに活用する方法がわかります。心があったまる般若心経 新書 – 2013/6/4
私達を救う、観音さまからメッセージ
日本で最も親しまれているお経「般若心経」と仏教の基本用語を語りかけるような優しい言葉でわかりやすく解説。
あらゆるこだわりから離れ、誰もが幸せになれるヒントがつまっています。 迷い悩むとき、苦しいとき、きっとあなたの心を温めてくれるでしょう。禅語エッセイ 単行本 – 2013/12/17
「一期一会」「挨拶」をはじめ、日常的に使われる禅のことばから生き方のヒントをエッセイ風につづります。
四季とともに変化してゆく木や自然の絵とともに初心者でも禅語が深く味わえる一冊です。
日本を元気にする地域の力〈1〉日本の新しいかたち (日本を元気にする地域の力 1) 単行本 – 2012/3/30
地域の未来を切り拓く緊急提言!!
●患者の負担を軽減するロボット手術が保険適用外!?
●アースドクターが街のど真ん中に森を創造する!?
●「天下の鬼叢林」で修行を積んだ禅僧が葬儀で一喝!?
●「広域合併」を選ばなかった市が住みよさ全国7位!? 四季とともに変化してゆく木や自然の絵とともに初心者でも禅語が深く味わえる一冊です。NHK文化センター 一日講座
『写経』と『精進料理』を楽しむ会
座禅・禅語・写経・精進料理など禅的精神に触れ、肩の凝りをもみほぐします。
*写経は「般若心経」です。- 教室名:名古屋教室
- 開催期間:10/6~12/1
- 曜日・日時:第1木曜 10:30~12:30
- 回数:2回 途中受講できます
- コース受講料:(税込み)4,320円
- 教材費:(税込み))4,320円
日程
○2016/10/06(木)
○2016/12/01(木)
持ち物
- 写経道具
- 「写経用紙」は用意します。
- 筆ペンは各自ご用意ください。
◆椅子による座禅・写経可。
臨済宗の教義は 臨済録に伝えられています
一無位の真人
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ、看よ」(お互いのこの生身の肉体上に、何の位もない一人の本当の人間、すなわち「真人」がいる。いつでもどこでも、お前たちの眼や耳や鼻などの全感覚器官を出たり入ったりしている。まだこの真人がわからないものは、はっきり見届けよ)
釈尊の教えは、現実に生きている人間のためにとかれたものであることは言うまでもありません。臨済禅師の教えも、その生きた人間とは何であるかをはっきり自覚し、そこから世の中を正しく見ていこうという点から出発しています。
人間は自分を見つめるとき、初めは実体的な自己の存在に何の疑いも持ちません。しかし、さまざまな問題に悩み、壁にぶつかって、さらに自己を掘り下げて見つめていくと、悩みや苦しみの原因はすべて自分の中にあると気がつきます。そこで、本当の自分とは何か、人間とは何か、という問題につきあたるのです。
臨済禅師は、この真実の自己を「一無位の真人」と表現されました。
「無位」とは、一切の立場や名誉・位をすっかり取り払い.何ものにもとらわれないということです。
「真人」とは、疑いもない真実の自己、すなわち真実の人間性のことで、誰でもが持っているものである。この真人は、単に肉体に宿るだけでなく、人間の五官を通して自由自在に出入りしています。
未だこの「一無位の真人」を自覚していない者は、ハッキリと見つけなさい。随処に主と作れば、立処皆真なり
その場その場に全生命を打ち込んで行動していくならば、そこがかけがえのない真実の世界となる。)
これは、何処でも自分が主役・大将になることではありません。自分がどんな環境に置かれようとも主体性を失わずに生きていくということです。
その時、その場で無心に働けば、それに応じて自らを生かし、さらに他者をも生かすことができるのです。それは、坐禅の時だけではありません。食事、仕事、学業など日常生活すべてにわたって、その時点でなすべきことに自己を完全燃焼するのが、主体性を保つことなのです。
他のことに心を奪われず、一事に自己を投げ出せば、その人の発言も沈黙も、立つも坐るも、すべてが真実となるのです。
このように主体性をもって生きるならば、充実した生き方をしていれば、自分のまわりのものをすべて生かしきっていくことができるということなのです。無事是れ貴人
「無事是れ貴人。但だ造作することなかれ。祇だ是れ平常なり」(無事の人こそ貴人である。あれこれと、はからいをしてはならない.ただ平常であることだ。)
この無事という言葉の意味は、危険や不安がないとか健康であるといったことではありません。何かを求めたり執着する心のないこと、つまり、無心そのままを無事といいます。又、悟りを開こうとか仏になろうなどと求めたり、とらわれることを「造作する」といい、こうした造作をしないことが「無事」であると臨済禅師は教えています。
「貴人」も、社会的地位が高いとか金持ちであるとかいった上級社会の人という意味ではなく、「無事の人」と同じ意味なのです。欲しがりもせず、とらわれもしない人を「貴人」というのです。平常とは、執着心を離れ、ありのままに日常を立ち居振る舞う心と言うことです。つまり、平常心で行住坐臥すれば、そのままが仏法であり、仏道であるから、それ以外に何を求める必要があるのかと臨済禅師は言い切っています。
白隠の教え
衆生本来仏なり ・ 直に自性を証すれば ・ 此の身即ち仏なり
すべての衆生は生まれながらにして仏性をそなえている。
みずから深い禅定により直に「本来の自己が仏心である」と体験自覚すれば、そこは無我の世界、「空」の境地である。それは生死を超越した世界であり、ここが浄土であり、この身がそのまま仏である。
無我の境地は、遠くにあるのではなく、自分自身のうちにあるのだからほかへ探しに行くことはない。まず自分の内奥を徹見せよと教えている。
「生活信条」と「信心のことば」
生活信条
- 一日一度は静かに坐って身と呼吸と心を調えましょう。
- 人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう。
- 生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう。
「生活信条」と「信心のことば」
信心のことば
- わが身をこのまま空なりと観じて静かに坐りましょう。
- 衆生は本来仏なりと信じて拝んで行きましょう。
- 社会を心の花園と念じて和やかに生きましょう。
仏教・禅の基本理念が解っていただけましたでしょうか。我々の日常生活と全く遊離したものではないのです。
幸にもこの世に生をうけ、今・たった今ここに存在することに感謝して生きる。
与えられた環境・境遇をありのままに受け入れ、自分のできる範囲で最大限の努力をする。
いま・ここで・わたしがすべきことは何か?を常に自覚し行動していくことが禅の生き方なのです。座禅会情報
毎月第2木曜日 午後6:30~8:00
白林寺本堂にて坐っております。
初心の方でも冷やかしでも結構です。今の自分を変えたい方など どうぞお誘いあってお出で下さい。
尚、名古屋禅センターでは、坐禅・法話・写経など出張指導・講師派遣なども行っておりますのでお気軽にご相談ください。
お問い合わせは 電話 052-241-5200 まで白林寺霊園 墓地分譲のおしらせ
愛知県名古屋市千種区平和公園
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電話 052-241-5200
FAX 052-241-5207
白林寺
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電話 052-241-5200
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